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沙翁十四行詩集
故郷へ帰りたい

Contondo #11

ライナーノーツ

いちろー(廃墟文藝部)

『沙翁十四行詩集 故郷へ帰りたい』

音楽

 

観客も俳優も、言葉も身体も、あらゆるものが等しく並んでいた。言葉が客席の脇ですっと腰を降ろすような、不思議な感覚だった。

 

Contondo #11『沙翁十四行詩集 故郷へ帰りたい』にて、劇中曲の作曲を担ったいちろー氏に寄稿頂きました。内側から創作に携わったからこそ覗き返すことができる、作品をより深掘りするためのライナーノーツです。

February, 2019

故郷へ帰りたい

 

 元になるテキストは、ソネット<十四行詩>がただひとつ。それがこれほど広がりをもって届くのは、なぜだろう。そう考えて思い至ったのは、「老い」に向き合ったキャスト達ひとりひとりの瑞々しさと、ソネットが駆け抜けた四百年におよぶ長い旅のことだった。

 本作では、戯曲ではない詩を上演するにあたり、演出家が小さなスケッチを用意した。用意といっても、作品のテーマや詩のテキストだけに目を向けて拵えた額縁だとか外枠のような類のものではない。それは今回出演する俳優たちと対話を連ねて立ち上がったものであり、彼らの人生に対する内圧が顕在化したものだ。そこには彼らの瑞々しい声が息づいている。そのひとつひとつを掘り下げ、ときに待ち委ね、やがてスケッチはその瑞々しさを丁寧に熟成させた。

 そのようにしてつくられた本作は、詩という言葉の身体・声による展示とも言えるだろう。開演も幕間も終演もない日常と地続きの時間のなか、それは展示された。観客も俳優も、言葉も身体も、あらゆるものが等しく並んでいた。言葉が客席の脇ですっと腰を下ろすような、不思議な感覚だった。

 そのとき受けた感覚を思い返すとき、僕には「故郷」という言葉がよぎった。

故郷へ帰りたい

 

 「故郷」とは国だけを指すのではない、もっとべつの何か、だった。それは、誰かの命にとって拠り所になる場。どこまでも彼方へ向かおうとするその時、立っている始まりの場。たとえどこまで遠くへ行こうとも、どんな時でも帰ることのできる場。それをあらわすものが「故郷」だ。

 一片の詩が「故郷」から、どこまでも彼方を旅して四百年を生き延びた。いくつの季節を経ただろう。その中で、どれだけの数の枝を伸ばし、葉を広げ、実を結んだのだろう。これあとそれはどこまで続いていくのだろう。

 その道すがら生まれたこの上演もまた数ある結実のひとつだと、大きな流れのひとつに僕らがいるのだと、ぼくたちの「老い」を見つめつつ考えていた。伸びた枝の先である、今ここ。それは誰かにとって、この詩の旅先であり、故郷でもある。

故郷へ帰りたい

 あの空間で生まれた上演が、今回残された映像が、叶うならば、あなたの「故郷」となってくれたらと思う。いつしかあなたがそこに帰りたいと思うとき、その「故郷」は、言葉も顔も姿も風景も、この映像に残されている。あなたが訪れるとき。ぼくたちはいつでもあなたの「故郷」で待っている。

 
いちろー

廃墟文藝部

 
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